「一人担任って、大変じゃない?」
そう、よく聞かれます。
もちろん「全然平気!」なんて言えません。
持ち帰りの仕事がない日はなかったし、子どもたちのことで悩まなかった日は一日もありません。
でも———
一人担任だったからこそ、見逃さずに拾えた”その瞬間”があります。
私だけが見せてもらえた、成長の一コマ。
そんな日々は、今振り返るとほんとうに幸せな時間でした。
今日は、そんな”私だけで独り占めした成長の瞬間たち”をいくつか紹介させてください。
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【爆笑編】おしりを洗う男児

保育していると、大人では想像もつかないこと、やってのけてくれる子がたくさんいます。
毎日、笑えるネタは尽きません。
その中でも衝撃的だったエピソード。
「水道でおしりを洗う男児」の話。
園庭で遊んでいると、一人の男児が「先生、トイレ行ってくる。」というので、
「ゆっくり行ってきてね。」と送り出しました。
トイレに入っていったところまでは確認し、庭で遊ぶ子を見ていました。
しかし、しばらく経っても戻ってこず、そろそろ心配になってきた頃———
「え?ちょっと!何してるのぉ?」私、プチパニック。
トイレに行ったはずの4歳男児。
テラスにある水道で、おしりを出して洗っている!
すぐに駆け寄ると、
「おしりがうまく拭けなくて、汚れちゃったんだよ~」
と真剣すぎる表情で、そう話す男児に私は爆笑。
その子は、汚れたままパンツを履きたくなかったのでしょう。
先生に拭いてもらうことより、自分でどうにかしようと行動したのでしょう。
立派です。4歳児、立派すぎます。
汚したくなかったパンツも、おまけにズボンまでびちょびちょになってしまったけれど、彼の意欲的な行動には称賛しかありませんでした。
自分で考えて行動した結果、間違いだらけだけれど、私はたくさん褒めました。
彼はやっと、少し恥ずかしさに気付きましたが、それも成長です。
誰かがトイレについていってあげられていたら、この珍事は起きませんでした。
でも、彼が考えた末の行動で、”子どもなりにちゃんと考えていること“を学ばせてもらいました。
さすがに衝撃的な姿でしたけどね。^^
【変化を見守る編】心を開いてくれた女児

初めて受け持ったクラスの年長女児Y子。
進級当初から、いつも一人でいることが多く、どこか退屈そうに見えた彼女の姿が、今でも印象に残っています。
声をかけてもたいした返答はなく、気にはなっていたけれど、取っ掛かりが見つからない状態でした。
いつも椅子を斜めにし、ゆらゆらしながら座っていたので、毎日注意を促していました。
それも、きっと彼女にとっては、もの足りない日々への反抗だったのかもしれません。
ある日、「Y子ちゃんは、いつも先生に怒られている」という話が耳に入ったY子のお母さんが、私と話がしたいと園にやってきました。
初めて担任したクラスで、初めて保護者との個人面談。
ゴールデンウィーク前だったように記憶しています。そりゃ~ドキドキでした。
最初はお母さんも、”なぜうちの子だけ怒られているのか””新人の先生で大丈夫なのか”と、怒りや不安を抱いていたと思います。
私は、Y子ちゃんの園での姿を丁寧に説明し、今は関わり方に悩んでいることを素直に話しました。
すると、人見知りというわけではないけれど、様子伺いの強い子であることをお母さんが教えてくれました。
私は、試されていたことに気づかされました。
お母さんは、「注意されるそれはY子が悪いので、そこはしっかり言ってください」と言ってくださりました。
さらに、私がちゃんと関わろうとしていることを理解してくれました。
お母さんと話してから、私は今まで以上に、Y子と関わるようにしました。
無理強いはせず、それでも楽しいことは誘い、声だけは常にかける。
すると、Y子の表情は少しづつ柔らかくなり、集団の活動にも自分から参加するようになりました。
卒園の時、Y子のお母さんに「本当に先生のクラスで、よかったです」と言ってもらえたのです。
当初、新人の私に預けるのは不安だったことでしょう。しかし、話をしてからは私に任せてくれるようになり、一緒にY子の成長を見守ってくれました。そして最後には、感謝の言葉までいただきました。
この経験は、子どもと「関わる姿勢」を学ばせてもらいました。
子どもは、ただ反応が薄いわけじゃない。
ちゃんと見て、感じて、時には私たち大人を試しているんだということ。
そして、保護者の方も、言葉にしなければ伝わらない不安や戸惑いを抱えていること。
その気持ちに、しっかりと耳を傾けることの大切さ。
そこを気づかせてもらいました。
独身で子どものいなかった私にとって、Y子との時間とお母さんとの対話は、
“保育士”としてだけではなく、”大人としての私”を育ててくれたように思います。
保護者との関係に悩む保育士さんも多いと思います。
私も、子どもとの関わりよりも、保護者との関わりの方が難しいと感じています。
そんな時は「お母さんは子どものことが心配なんだよね。」と思いながら聞くようにすると、その悩みを一緒に共有できるようになります。
あ、もちろん、保育士の考えを完全否定で理不尽な要望には、私だってイラっとしますよ。
でも、まずは、寄り添ってみることを忘れないでいたいものです。
私は、Y子のお母さんと1年目に出会えて、本当にラッキーだったと思います。
【こだわり強し編】カバンはいらない、でも朝顔は いる!

2年目のクラスに、とてもこだわりの強い男児がいました。
とてもマイぺースで、マイワールドを持つ彼。
彼は、友達との関わりにはあまり興味を示さず、集団での活動にも消極的。
でも虫や植物が大好きで、戸外遊びの時間には、いつも一人で虫探しに夢中でした。
椅子にはきちんと座れるし、製作などは嫌いではない。
独自の発想で取り組む姿もありました。
しかし、「みんなで一緒にやろう」とすることや、指示されることは苦手でした。
無理強いはせず、できることは一緒に楽しんだり、好きなことにはとことん共感したりしながら、少しづつ関係を築いていきました。
そんなある日———
ついに、彼の中で限界が来たようでした。
「先生なんて、きらいだ!!もう幼稚園になんて来ない!ぼくは帰る!!」
…出た!と内心思いながらも、否定するとさらに爆発しそうだったので、
「そっか~帰っちゃうのか。さみしいなぁ。あ、でも、カバン忘れてるよ?」
と、ちょっとだけ意識をそらす作戦に出てみたところ———
「カバンなんていらない!だってもう、ぼくは明日から幼稚園に来ないから、カバンはいらないんだ!」
…なるほど。この状況の中で、ごもっともすぎる発言だ。
そう感心していると、彼はそのまま靴を履き、園庭へ。
門は施錠されているし、しばらく様子を見ていると、なんと…
朝顔の鉢を抱えてる!!
そうです。園庭にあった、一人一鉢で育てている朝顔。
彼は「園にはもう来ないから、育ててる朝顔は持って帰らなきゃ」と思ったのでしょう。
カバンはいらない。でも、朝顔はいる。
5歳児の論理、あっぱれです。
その後、門の手前でバスの運転手さんに声を掛けられ、彼は仕方なくお部屋に戻ることに。
「朝顔は持ち帰ることできないから、Tくんが明日から来ないと、Tくんの朝顔かれちゃってかわいそうだな~」と伝えると、それは困ると思ったのか、何事もなかったように椅子に座り直していました。
その後もいろんなことがあったけれど、彼の行動をできるだけ否定せず、時間が許す限り丁寧に関わりました。
すると、年度末の発表会では、しっかりと”馬の役”を演じきり、みんなで一つの劇をつくりあげたのです。
そして、そんな彼は———
なんと、中学校では生徒会長を務めたそうです。
根はとてもまじめで、優しい子でした。
こだわりの強い子も、それもその子の個性。
その子に合わせた関わり方をすることで、その子らしさを引きだしていける。
彼から、そんな大切なことを教えてもらいました。
…そして、なんとこの彼に、久しぶりに再会する機会がありました。
当時5歳だった彼は、26歳。ちゃんと仕事もしていて、相変わらずマイワールド全開ではあったけれど(笑)、立派に大人になっていました。
「あの時、朝顔抱えて脱走しようとしたこと、覚えてる?」と聞いてみると、さすがに覚えていませんでしたが…
でも私が話すと、苦笑しながら
「その節は、大変ご迷惑おかけいたしました!」
って、きっちり謝られました(笑)。
時を経ても、こうして再開できるなんて、保育士という仕事のご褒美のような瞬間ですね。
一人担任だったからこそ成長を独り占めできた日々。
一人担任だった日々は、大変だったけれど、だからこそ子どもの”その瞬間”に誰よりも近くいられた気がします。
子どもと笑って、悩んで、泣いて、また笑って…。
あの頃の子どもたちが、今どこかで誰かを笑顔にしてくれていたら嬉しいな。
小さな変化、小さなつぶやき、小さな成長。
そのすべてを見逃さずに、寄り添えたのは、きっと私が”ひとり”だったから。
子どもの声にまっすぐ向き合えた、かけがえのない時間でした。
今回は”個”の物語として、一人担任だからこそ見えた子どもの姿を綴りました。
そして次回は、”集団”というクラスの中で感じた一人担任の視点を振り返ってみようと思います。
保育士のみなさん。
あなたの目線と心配りは、きっと子どもの心にちゃんと届いていますよ。
だから、明日もまた、一人でも多くの笑顔に出会えますように。
次は、一人担任で味わった「奇跡のような日々」と、保育ならではのやりがいのお話。
▶保育のやりがいと醍醐味|クラス全員を一人で見届ける幸せ
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